博学の私の友人 Kさんから先日 居酒屋で聞いた話を披露します。
1. 下総地区には漢数字の付いた地名が数多く存在します。
その昔、 一から順番に付けた地名だとは聞いたものの、幾つかしか知らず
順番等もまったく判らない折、 ある雑誌に載っていた記事が目に映り、
断片的な知識がきれいにが繋がったとの事です。
明治に入り失業武士に開墾させた千葉県下総台地の「東京新田」。
開墾した順番に名前を付けたということのようです。
初富(鎌ケ谷市)、 二和(ふたわ、船橋市)、 三咲(船橋市)、
豊四季(柏市)、 五香(松戸市)、 六実(むつみ、 松戸市)、
七栄(ななえ、 富里市)、 八街(やちまた、 八街市)、
九美上(くみあげ、 香取市)、 十倉(とくら、 富里市)、
十余一(とよいち、 白井市)、 十余二(とよふた、 柏市)、
十余三(とよみ、 多古町)
「フーン」と酒の手も止めて聞き入る中、 Yacchiが
「東京には、 この節は昔の地名が無くなったね。 俺の実家も町名が中野区城山町だったのが
中野1-99-9だもんね、 味気ないよね。」
皆もうちも、 うちも。。。で大いに盛り上がり酒の手も止まらなく・・・。
地名に加え、 Kさんは丁目についての話も出て、
2. 丁目とは
・本来は1丁すなわち60間、 およそ109mという長さで、 江戸期には道添に
長く続く町に用いられていた。 都心や神社仏閣のある方を1丁目とし、
そこから1丁進んだ所が2丁目という具合であったとのこと。
・昭和37年施行の「住所表示法」では、原則として皇居に近い方が1丁目である。
・東京銀座・・・江戸時代から丁目を採用しており、 今でも丁目の幅は当時と同じ。
但し、 昭和の震災復興事業で裏通りも銀座に仲間入りしたため
もはや「道沿い」の町ではなくなっている。
こんな話で大いに盛り上がり、 旨い酒を飲めました。
但し、 酒の席でもあり全部憶えいられたわけもなく、後日書いてもらったというのが正直なところです。
By Yachi
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