このたび、FESSの会計を担当することになった石井です。入会して2年足らずのうえパソコンが得意ではないのですが、皆さんに助けていただきながらなんとかがんばっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
自己紹介の代わりになるか分かりませんが、少なくとも今の私に大きな影響を与えたと思われる故郷の話をします。
私は 山形県庄内地方のはずれの寒村に生まれました。
厳寒の朝には家中の窓ガラスが凍り、氷紋ができていました。同じものが一つもない芸術的なとても美しい模様でした。
小学校一、二年生頃までだったでしょうか、冬は乗り合いバスならぬ「乗り合い馬ソリ」がありました。馬が引く大きなソリの上に、ドアのついた小屋?(箱)があり、その中に入るとこたつがありました。乗客はこたつで暖をとるわけです。その話をすると「いつの時代の人?」とよく笑われますが、こたつの暖かさとともに思い出されます。
小学校時代、一年生から六年生までの縦割りグループがありました。
上級生がリーダーとなり、下級生を引き連れて学校近辺の山に行きます。目的は薬草採りです。センブリやゲンノショウコなどを持ち寄って学校予算の一助にしたものと思います。ところが山に着くと男の子は薬草はそっちのけ。野ウサギやヘビを追いかけ、こっそりリュックに入れて持ち帰ります。教室に戻りリュックを開けたとたん、皆、蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。
余談ですが、私の村は清川八郎という尊王攘夷派の志士の出身地です。
あまり歴史的評価の高い人物ではないのですが、藤沢周平の『回天の門』という長編歴史小説に描かれています。藤沢周平は山形出身の作家とはいえ、村の細部まで正確に描写していることに驚きました。作家という人たちは一つの作品を書くのにどれだけの準備をするのだろうと感心しました。
高校には一時間ほどかけてジーゼルで通いました。庄内平野を通るため、春は苗代に逆さ鳥海山が映り、風が吹くと小さなさざ波が山まで揺らしていました。晩春には緑のじゅうたんの中、秋は黄金色の中を走っていました。
現実の生活は美しいものだけではなかったはずですが、思い出の中で美化されるものもあるのでしょうね。まるで映画のように思い出されます。
石井 なおみ