さらば 銀座の都電

昭和の時代、東京の交通手段は都電が中心であったが

現在は三ノ輪から早稲田までの荒川線一線になってしまった。


都電は明治36誕生し、品川から新橋を初めて走った。

車が溢れ出したのと、 運転手の給料・経費の負担増により次々と廃線になり、

一番よく利用された都電「銀座線」も昭和42129日に廃線となった。


 

実は、 銀座の南北を貫く歩道に敷き詰めてある約9万枚の敷石は

かつて都電「銀座線」がその上を走っていた御影石をそっくり使ったものだ。

そして、敷石の下に作られたガス・電話などのライフライン共同溝の外枠として

都電のレールもしっかり生き残っている。

廃線の際の整備事業は国の予算で賄われたが、敷石の歩道は言わば特別注文で

当時の価格で5千万円。今に直せば優に億を越える費用であるが、それを

老舗や企業で構成される銀座通連合会がポンと気前よく出したのである。

それもこれも銀座という特別な場所ならではの、 特別なことに違いなかった。

 

小生も会社に入った時には、 日本橋・三越の前を行き来していたので、

ライオン像の前で待ち合わせをしていて、 都電が走って行くのをよく見たものだ。

 時々、今でもあの光景を思いだし、 懐かしく思う。

今度、 銀座1 目から8丁目まで都電の風景を思い浮かべて歩いたらどうかね…。



※「昭和の特別な一日」 (新潮社)を一部引用


Brought you by Yacchi

カテゴリー: 未分類 パーマリンク